★ まぼろしのロックマガジン

 今回はいにしえの音楽雑誌の話。

 最初に定期購読した音楽雑誌はやはり「ミュージック・ライフ」(以下「ML」)だった。

 野暮を承知でいちおう説明しておくが、「ML」はシンコー・ミュージックが出していた老舗の音楽雑誌である。当時は一番売れていたと思う。表紙はたいていキッスかクイーンかチープ・トリック、ときどきエアロスミス、といった感じ。間違ってもストーンズやザ・フーが表紙になることはなかった。

 この雑誌はグラビアページが多くてわりあい分厚く、ずっしりとした重みがあった。といっても、そのうち半分くらいは広告だったが。

 それでも、ロックを聴き始めたばかりの中学生には、広告も貴重な情報源であったから、隅から隅までなめるように読んでいたものだ。

 そしてお気に入りのミュージシャンの載ったカラーページを切り取って、透明な下敷きに入れて学校に持っていったりしていた。(今考えると女の子みたいだけど、みんなけっこうやっていました。)

 で、内容はといえば「健全な」ミーハー路線にのっとったものだった。ミュージシャンのインタビューにしても、インタビューアはジャーナリストというより、いちファンとしてのスタンスで質問をしていたと思う。意地悪な問いや核心をつく質問をぶつけるなどということは全くなく、記事の横には、憧れのミュージシャンのサインをもらってにっこり微笑むインタビューア(たいてい女性)の写真、てなパターンが多かった。

 それでもまだ「ML」はましな方だった。同じくシンコー・ミュージックが出していた「ロック・ショウ」なんて、ひたすらベイ・シティ・ローラーズ、ベイ・シティ・ローラーズ、ときどきロゼッタ・ストーン。ミーハーの極致だった。それに比べれば「ML」はずっと節度があったと思う。「健全な」と書いたのはそういう意味だ。

 しかし1年くらい読み続けているとさすがに飽きがきた。イギリスではパンク・ムーブメントが燃えさかっているという激動の時代なのに、あいも変わらず「日本のファンをどう思いますか。」「来日時に京都には行きましたか。」じゃあねえ…。

 そこで僕が次に選んだのが、創刊されたばかりの「Jam」という月刊誌だった。今となっては誰も憶えていない、まぼろしの雑誌である。だいたいこの雑誌を読んでいたという人を、僕は自分以外に知らない。これもシンコー・ミュージックが発行元であった。

 「ML」より大きなサイズで表紙はダークな色調のイラスト。クラッシュのミック・ジョーンズなどが描かれていたのを憶えている。編集長は元「ML」編集者(副編集長だったかな?)の女性。ちなみに彼女は、のちに甲斐よしひろの妻となり、かの名曲「安奈」のモデルとなった人である。(その後離婚することとなるが。)

 「Jam」には海外雑誌の翻訳記事も掲載され、自前の記事も「ML」よりはずっとジャーナリスティックなスタンスで書かれていた。まあそうはいっても、しょせんシンコー・ミュージックの雑誌だから限界はあるのだが。

 おもしろかったのが、新譜紹介のコーナーで「すすめ!パイレーツ」の江口寿史や、ソウルミュージックマニアで知られる志村けんがレビューを書いていたことだ。志村けん氏は、TVでの姿とはうってかわったまじめな文章で、ソウルミュージックへの愛を語っていた。しかもこれが毎月掲載されていたのだ。あれ以来、僕は志村けん氏に対して、妙な親近感を抱いている。 

 このように僕にとってはかなり満足度の高い「Jam」であったが、あまり売れなかったのか、しばらくすると廃刊になってしまった。

 いまさら「ML」にも戻れず、かといって「音楽専科」や「ニューミュージックマガジン」にも馴染めなかった僕は、渋谷陽一氏のラジオ番組を聴いていたこともあり、「ロッキン・オン」を定期購読するようになって、その後「ロッキン・オン教」に染まりに染まっていくわけだが、これについては書き出すと長くなりそうなので、また別の機会にしよう。

 それにしても、まぼろしの「Jam」、もう一度読んでみたい。保存しておけばよかったなあ。古本屋を探せばみつけることができるのだろうか。

  (2001/06/07)

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