★ 華麗なる歌詞カード

 洋楽ロックを聴く上で最も障害になるもの。それは「英語」である。

 言葉がわからないというのはつらい。耳で聞いているだけでは、歌詞の意味はおろか、単語すら聞き取れないのだ。(「レット・イット・ビー」が「エルピー」に聞こえたりね。)特に英語といえば受験英語しか知らなかった20年前の中高生にとってはなおさらであった。

 だから、歌詞カード(日本盤には必ずついていた)のお世話になることになる。そこに書いてある英詞と対訳を読んで何が歌われているのかを知ろうとするのだ。

 ところが、この歌詞カードがくせものなのである。

 まず、歌詞聞き取りの間違いが非常に多い。

 海外アーティストがオリジナル原盤に歌詞を掲載するということは当時はまれであった。だから日本盤をリリースする会社は、聞き取りによって歌詞カードを作成する。しかしこれがかなりいい加減なのだ。そこらにいる外人に聞き取りをアルバイトでやらせたりするらしい。ミュージシャンだってアメリカ人もいればイギリス人もいるし、リバプール訛りだのコックニー訛りだの、果てはジャマイカ訛りだので歌われる歌詞を正確に聞き取る力も余裕も彼らにはないのだろう。

 そして次に翻訳の間違い。聞き取り自体が間違ってることが多いのだから正確に訳すことは難しいのだろうが、そのうえさらに訳者の英語力不足が原因としか思えない誤訳が加味されて、ときどきとんでもなくおかしなものができあがる。

 僕が知っている中で、一番笑える例はエアロスミスのケースであった。

 アルバム「ドロー・ザ・ライン」に「Sight For Sore Eyes」という曲がある。この言葉は「見るも嬉しいもの、目の保養、珍しい客」といった意味の慣用句だ。辞書をひけば出ている。ところが訳者は何を思ったか、それを「ただれ目の女」と訳してしまったのだ。「Sore」という単語が「(炎症などで)ひりひりする」という意味を持つので、それをそのまま使ったのだろうけど…。「ただれ目の女」ねえ…。おれ、大学生の時までその訳を信じてたよ。 

 ザ・バンドの「Time To Kill」という曲を、ライナーノーツの中で「『殺人の時間』という恐ろしいタイトルの曲ですが…」と紹介していた評論家もいた。あんたそれは「ひまつぶし」って意味ですよ、とつっこみたくなってしまう。

 訳しすぎの例もある。

 サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」で、歌詞に続いてリフレインされる「ライ・ラ・ライ」というフレーズ(これ自体に意味はないはず)を「Lie」と解釈して、「嘘で、嘘で、嘘で…」と訳してあったケース。そこまで訳さなくても…、と、へなへなと脱力してしまう。だいたい意味が通じんでしょうが。

 とまあ、こんな具合にトホホな例は枚挙に暇がない。ところが時には誤訳によって曲に新たな意味が付与されてしまう場合もあるのだ。

 たとえば有名な例ではビートルズの「ノルウェーの森」。原題は「Norwegian Wood」で単数形だから、「森」(Woods)ではない。「ノルウェー産の木材(で作った家具)」のことを指すらしい。しかも最近の説によると、これは実は「Knowing she would(彼女がやらせてくれることを知ってるよ)」という言葉に、似た響きの言葉をあてはめただけ、という話もある。確かにこれ、ジョンの浮気の経験から生まれた歌ですよね。

 しかしそんなごたくは「ノルウェーの森」という言葉の詩的な響きにはかなわない。この訳語をつけたレコード会社のディレクターは偉いと思う。そうしてこの曲は日本では「ノルウェーの森」として長年親しまれ、さらに村上春樹がそのタイトルを借りて書いた恋愛小説がベストセラーになったおかげで、完全に定着した。もう誰がなんといおうと「Norwegian Wood」は「ノルウェーの森」なのである。この曲を聴くと日本人の頭の中には深緑の北欧の森がイメージされてしまうのである。

 この曲については、もうひとつ気になることがある。

 朝めざめると相手の女の子はいなくなっていた。そこで主人公は歌う。「So I lit a fire. Isn't it good, Norwegian wood」

 僕の持っているCDの歌詞カードでは「俺は暖炉に火をくべた。まるでノルウェーの森にいるみたいだ」となっている。(内田久美子訳)

 完全に「ノルウェーの森」路線の訳になってしまっていることはさておき、問題は「So I lit a fire」の部分。

 これって普通に考えたら「煙草に火をつけた」って訳になりませんか。女の子が去ってがらんとした部屋で、ひとり煙草に火をつけてぼんやりと部屋を眺めている、という情景。

 こんな訳もあった。「だから俺は部屋に火をつけた」。これは凄い。彼女が去って腹立ちまぎれに部屋に火を放つ男。サイコ・ホラー小説みたいである。しかしちょっと訳しすぎじゃないかとも思う。

 「暖炉に火をくべた」のか「煙草に火をつけた」のか、あるいは「部屋に火をつけた」のかによって曲の印象は大きく違ってくる。かように翻訳というのは重要かつ難しいのだ。そのあたり、レコード会社はよく認識して欲しいと思う。状況は20年前とあまり変わっていないようだから。

 (2001/12/16)

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