◎ カフェ・ブリュ 
 01 ミックス・ブレッシング
 02 ホール・ポイント・オブ・ノー・リターン
 03 ミー・シップ・ケイム・イン
 04 ブルー・カフェ
 05 パリス・マッチ
 06 マイ・エバー・チェンジング・ムーズ
 07 ホワイトハウスへ爆撃
 08 ゴスペル
 09 ストレングス・オブ・ユア・ネイチャー
 10 ユー・アー・ザ・ベスト
 11 ヒアズ・ワン・ザット・ガット・アウェイ
 12 ヘッドスタート・フォー・ハピネス
 13 カウンシル・ミーティン

★<カフェ・ブリュ> スタイル・カウンシル

 ザ・ジャムは問答無用にかっこいいバンドであった。ギター・ベース・ドラムスという最小限の楽器構成にスモール・フェイシズをお手本にしたとおぼしきモッズ・ファッション。たたずまいだけでもう単純にかっこいい。

 もちろんサウンドもかっこよかった。初期は「イン・ザ・シティ」に代表されるスピードとパワーにあふれたシャープな英国産ロックン・ロール。後にはそこにR&Bやソウルなど黒人音楽の要素が加わって楽曲の幅が広がった。

 ポール・ウェラーは鋭くギターをかき鳴らしながらピート・タウンジェントのようにステージ上でジャンプする。ブルース・フォクストンも同じくジャンプしながら太い音で攻撃的ベースラインをはじき出し、リック・バックラーは目にもとまらぬ速さで重機関銃のようなビートをたたきだす。最高である。

 解散の仕方すらかっこよかった。「このバンドでやれることはやった。このままバンドを続けていくことはできるが、そんなことをして醜い姿をさらしたくない」と人気絶頂であったにも関わらずポール・ウェラーは解散を宣言。「ビート・サレンダー」というこれまた震えがくるほどかっこいいシングルをリリースしてバンドを終わらせた。

 そんなポール・ウェラーが次のステップとして始めたのがスタイル・カウンシルという名のユニットだった。パートナーを組んだのはキーボード・プレイヤーのミック・タルボット。当時はバンド全盛の時代であり、ユニットという考え方自体とても珍しかった。当初のアナウンスではアルバムを作らず、シングル・リリースをメインに活動をしてゆくということだったと思う。

 そうしてスタイル・カウンシルは活動を始めた。輸入盤シングルなど東京ではともかく地方ではそうそう簡単に手に入らなかった時代のこと、日本のジャム・ファンが彼らの音を聴くにはシングルを集めたミニアルバム「イントロデューシング」のリリースを待たねばならなかった。

 僕が初めて実際に彼らの音を聴いたのは、高校時代の友人O君の下宿だった。曲は「スピーク・ライク・ア・チャイルド」。他の曲の記憶がまったくないから、O君がどこからか手に入れた輸入盤シングルだったのかもしれない。

 一聴、めんくらった。ジャムの音とはまったく違っていたからだ。ホーンとキーボードによるイントロ、ゆったりとしたビートに女声コーラス。黒人音楽にくわしかったO君は「これは○○に影響を受けてて…」と解説してくれたが、基本的に白人ロックばかり聴いてきた僕には理解の範疇外の音楽であった。だいたいO君が「これもそうだけど、××のアルバム、もろスタックスでさ」といったときに「スタックスってなに?」と聞き返したくらいで、当時の僕は黒人音楽については全く無知だったのだ。(※スタックスってのは、かのオーティス・レディングやサム&デイヴなどが所属していた超有名な黒人音楽のレーベルである。)

 しかし、理解はできなかったけれどその曲はなぜか気になった。好きじゃないのに気にかかる。魚の小骨のようにひっかかって仕方がない。気がつくと僕は「イントロデューシング」を手に入れていた。

 そこには様々なタイプの曲が収められていた。シンセベースに導かれて始まるソウルバラード、アコースティックギターとオルガンだけをバックに歌われるシンプルな曲、ごりごりのファンク、キーボードによるソウル・ジャズ的インスト…。どれも初めて聴くタイプの曲ばかりだった。ロックン・ロールなど影もかたちもない。しかし何度も繰り返し聴くうちに僕はそれらの曲のとりこになっていった。最初は奇妙な曲だと感じた「スピーク・ライク・ア・チャイルド」も素晴らしくかっこいい曲に思えてきた。それからは輸入盤屋ではシングルのコーナーを必ずチェックすることにした。そして新しいリリースがあれば必ず買い、入手したシングルを聴きながらアルバムを渇望するようになった。

 彼らがデビューして1年がたったころ、待望のフルアルバム「カフェ・ブリュ」がリリースされた。もちろんすぐさまレコード屋に走った。聴いてみるとこれまた「イントロデューシング」以上にバラエティ豊かな内容だった。ジャズ、ラテン、ボサノヴァ、ラップ…。「ホール・ポイント・オブ・ノー・リターン」では当時デビューしたばかりであったエヴリシング・バット・ザ・ガールのベン・ワットがあの特徴的なフレーズのギターを響かせ、「パリス・マッチ」ではそれに加えてトレイシー・ソーンまでがけだるげなヴォーカルを披露していた。

 そうかポール・ウェラーはこういうことをやりたかったのか。様々なタイプの曲を試しながら、その曲にふさわしいミュージシャンやシンガーがいれば呼んできてフロントに立ってもらう。自分は必ずしもフロントマンでなくてもいい。これぞその名のとおりの「スタイル評議会」だ。なんて自由で革新的なユニットだろう。僕は感動した。彼はこれでジャム時代よりも成功するに違いない…。

 しかしその予想ははずれた。「カフェ・ブリュ」は売れたし、日本では根強い人気を保ったものの、本国イギリスでの評価は低かったのだ。いつまでたっても否定的な批評ばかりが聞こえてきた。フレキシブルであったはずのユニット自体も時を経るにしたがってメンバーが固定されてバンド化し、曲も一本調子になってぱっとしなくなり、ついにはレコード会社にアルバムリリースを拒否されるまでになった。そしてスタイル・カウンシルは消滅する…。

 その後ポール・ウェラーは失意の中から立ち上がり、地道な活動の末に「スタンリー・ロード」を全英チャート1位にするなどソロアーティストとして見事に復活したのはご存じのとおり。オアシスを初めとする後輩ミュージシャンたちにリスペクトされてもいる。しかしスタイル・カウンシル時代についてはまるで存在しなかったかのような扱いを受けているのが現状だ。ジャム時代についてはいまだに評価が高いのに…。

 それでも僕はこのアルバムが好きだ。ジャムという重いくびきから解放されたポール・ウェラーが、その歓喜の中で高らかに奏でた様々なスタイルの音楽たち。それはロックしか知らなかった僕の前に開かれた無限の空間であった。いまだに僕はその空間の中をさまよっている。だからこの音楽は僕にとってはいつまでも新鮮なのだ。ジャムの音楽と同じくらいかっこいいのだ。

 ところでパートナーだったミック・タルボットは今どうしてるんだろう?しあわせに暮らしてるといいんだけど…。

 (2002/07/10)

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