◎ イノセント・マン  
 01.イージー・マネー
 02.イノセント・マン
 03.ロンゲスト・タイム
 04.今宵はフォーエバー
 05.あの娘にアタック
 06.アップタウン・ガール
 07.ケアレス・トーク
 08.君はクリスティ
 09.星空のモーメント
 10.キーピン・ザ・フェイス 

★<イノセント・マン> ビリー・ジョエル

 ロック少年だった。
 髪をツンツンに立てていたわけでもなく、破れたジーンズをはいて革ジャンを着ていたわけでもなく、学校をドロップアウトしたわけでもなかったけれどロック少年だった。
 
 難解な文章に頭を悩ませながらも「ロッキン・オン」を毎月すみずみまで読み、ロック・ミュージックというものは、楽しいだけじゃだめで常に進化しつづけなければならない、不断のロック・スピリットを保ち続け、商業主義に身を売ってはいけないと思っていた。情緒的なニューミュージックとか、ちゃらちゃらした歌謡曲とか、権威主義に陥ったクラシックなんかとは違う音楽なんだ、と。

 今から思うといかにも青臭い。恥ずかしくって仕方がない。 

 そんな視野の狭い若者にとって、ビリー・ジョエルなんてのは唾棄すべき存在だった。
 「素顔のままで」とか「マイ・ライフ」とか「オネスティ」とかの中道的で口当たりのいいポップスを次々とヒットさせ、彼の音楽は「都会に暮らす人間のお洒落なサウンドトラック」などと呼ばれたりもして、流行に弱いミーハーなおねーちゃんたちにきゃあきゃあいわれるような存在。まさに「敵」だった。

 そんな彼は80年にはアルバム「グラス・ハウス」をリリースして急にロックン・ローラーぶりっこをし(当時の僕にはそう見えた)、さらに僕の怒りを買った。な〜にが「ロックンロールが最高さ」だ。あんたはサイテーだよ。

 82年発表の「ナイロン・カーテン」では失業問題やベトナム戦争が題材となった。これまた僕には「社会派ぶりっこ」に見えて仕方がなかった。「アレンタウン」や「プレッシャー」などメロディの好きな曲はあったくせに、その姿勢が許せなくて彼の音楽を頭が拒否した。

 そして83年、「イノセント・マン」がリリースされる。軽蔑するミュージシャンのアルバムを自分からすすんで買うはずもなかったが、たぶん弟が買ったものをきまぐれにターン・テーブルに載せたのだろう。発売からそれほど経たない時期に僕はそのレコードを聴いた。

 1曲目「イージー・マネー」。ドラムが叩き出すつっかかるようなビートにシャープなホーンのリフがかぶさり、そしてビリーがシャウトしながら登場。
 「なんじゃこりゃ。すげえかっこいいぞ。」

 後から知ったのだが、この曲はジェイムズ・ブラウンの音楽スタイルを借りたものだった。しかしそれはパロディでも単純なノスタルジーでもなく、ビリー・ジョエル自身の音楽に間違いなかった。見事な換骨奪胎。

 このアルバムに収録された全ての曲がそうだった。「ロンゲスト・タイム」ではドゥー・ワップ、「あの娘にアタック」ではモータウン・サウンド、「アップタウン・ガール」ではフォー・シーズンズ、「ケアレス・トーク」ではサム・クック、そしてタイトル曲「イノセント・マン」ではベン・E・キングなどなど、先人たちの豊かな音楽的遺産をふまえ、愛情と敬意を捧げた上で作られている。

 そしてどの曲も音楽そのものが持つ歓喜にあふれていた。それは先人たちの音楽に対する知識のあるなしに関わらず体感できるものだった。

 もうつべこべ言っている場合ではなかった。確かに「ロックの進化」とは関係ない作品かもしれないが、このアルバムは僕を感動させ、音楽を聴く楽しみと喜びを十分に味わわせてくれたのだ。

 もともと頭で音楽を聴き始めたわけじゃなかった。ビートルズだってストーンズだってイエスだってクリムゾンだって、いちばん最初はその音楽自体が好きだったから聴き始めたのだ。それがいつの間にか「ロックはこうあるべし」的な偏狭な思想に囚われてしまっていたのだ。

 このアルバムは僕をその呪縛から解放してくれた。そういう意味では、僕はこの傑作を作り上げたビリー・ジョエルに感謝している。この体験以来、僕は様々な音楽を素直に楽しめるようになったのだから。

 そして今ではこう思っている。音楽は、思想やなにかのムーヴメントの奴隷になってはいけない。音楽は音楽として成立すべきなのだと。

 まあ、呪縛から解放されすぎて、いまやモー娘。まで聴くようになっちゃったわけだけどね…。 

 (2002/06/15)

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