◎ ハイ・ランド、ハード・レイン 1.思い出のサニー・ビート 2.ザ・ボーイ・ワンダーズ 3.ウォーク・アウト・トゥ・ウィンター 4.ザ・ビューグル・サウンズ・アゲイン 5.ウィ・クッド・センド・レターズ 6.ピラー・トゥ・ポスト 7.リリース 8.ロスト・アウトサイド・ザ・トンネル 9.バック・オン・ボード 10.ダウン・ザ・ディップ |
★<ハイ・ランド、ハード・レイン> アズテック・カメラ
このアルバムを初めて聴いたときのことは今でもはっきり憶えている。
それは1983年の初夏のことだった。僕は19歳で、大学に入学して一人暮らしをはじめたばかりだった。
なんだかかったるくて授業をさぼることにした土曜日の朝。音楽でも聴くかと思い、前日に輸入盤屋で買ったばかりのこのLPをターンテーブルに載せ、敷きっぱなしの布団にねころがった。
スピーカーから「Oblivious」のイントロが流れ出す……。
そのとき自分が何を感じたかについても、手に取るように記憶している。
こんな音楽は初めて聴いたという驚き。そしてこれこそが自分のための音楽だという確信。同時になんともいえない喜びが湧きあがってきた。
音楽を聴いて衝撃をうけたことはそれまでにも何度かあったが、これは今までの経験をはるかにしのぐナンバー1の衝撃だった。
アズテック・カメラが奏でていたのは、のちに「ネオ・アコースティック」と呼ばれることになる音楽そのものだった。
アコースティック・ギターを中心に据えながらも決してフォーク・ミュージックにはならず、あくまでロックとしてのアティテュードを保った音楽。
パンクやニューウェイヴの喧噪に少しうんざりしはじめていた耳に、この音はとても新鮮に響いた。見事なまでにみずみずしく、凛とした意思を持った音であったから。
この奇妙な名前の新人バンドのアルバムをなぜ買ったのかについては、おぼろげな記憶しかない。
たぶん音楽雑誌の輸入盤コーナーで紹介されていたのだと思う。当時イギリスのインディー・シーンで最も注目されていたレーベル、ラフ・トレードからリリースされたということも印象に残ったのかもしれない。そしてたまたま行った輸入盤屋の新譜棚にそのアルバムを見つけ、買ってみたのだろう。
音楽としての衝撃をうけてからしばらくして、このバンドの中心人物ロディ・フレームが自分と同じ19歳であることを知り、僕はさらに強烈なショックを受けることになる。
この傑作を作り上げたのは、自分と同い年のアーティストだった……。共感と同時にあせりも感じた。自分は学生でまだ何者でもないのに、ここには既に新しいものを作りだした同世代がいるというあせり。
自分のような凡人とロディ・フレームを同列に置くなんて、今思うと青かったなあと思うが、そのときはほんとにそんなことを感じていたのだ。
しかし彼が僕と同い年だと知って様々な疑問がとけたような気がした。初めて聴いたときに、なぜこれこそが自分のための音楽だと確信したのかについても。
それは彼の書く歌詞からも理解できた。
「ストラマーの顔が壁からはがれおちてる/そのあとに貼るものは何もない」(「ウォーク・アウト・トゥ・ウインター」)
ストラマーというのは日本でも人気のあったパンクバンド、クラッシュのジョー・ストラマーのこと。そのポスターが壁からはがれおち、そのあとに貼るべきものは何もないというのだ。
ああ、彼も僕と同じようにクラッシュを聴きながら育ってきたんだ、そして今それを乗り越えようとしているんだというシンパシー。
そして「この世代もきっと壁にぶつかるだろう/でも僕は怒ったりしない/ギアをいれてここから冬に向かって歩き出そう/僕はきっとそこにいる/チャンスは雪におおわれた地面の下に埋まっている」というフレーズにはいつも励まされたものだ。
日本でのネオアコ・ムーヴメントはこのアルバムによってはじまったと言ってもたぶん間違いではないと思う。
アズテック・カメラがいなければ、フリッパーズ・ギターもカジヒデキもカヒミ・カリイも存在しなかったかもしれないんだから。
残念ながらロディ・フレーム自身はこの一枚を超えられず、この後迷走してゆくことになる。
でもそんなところにも同世代としてのシンパシーを感じてしまうんだよなあ…。
(2002/04/10)
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